アニオタ美容師な僕が『ガンダムSEED』がキッカケで考えさせられたこと

こんにちは、hoshi’s-noteです。

僕は、デジタルガジェットやウェブ制作が大好きです。それと同じくらい、いや、それ以上に大切にしているアニメ作品があります。

それが『機動戦士ガンダムSEED』シリーズです。

20年以上前の放送当時よりもここ最近の方が夢中で見てしまいます。

もう何周しているだろうか?というくらい、ガンダムシリーズの中でも大好きな作品。

47歳になり、人生のさまざまな荒波を越えてきた今改めて見返すと、当時は深く考えることのなかった「痛み」や「問いかけ」が胸に深く突き刺さるようになりました。

今日は、一人のガンダムファンとして、この作品が描き続けてきた「争い」と、今の僕たちが直面している「答えのない問い」について、少しだけ独り言のようにつづってみたいと思います。

「正義」の反対は、もう一つの「正義」だった

この物語が僕に教えてくれた最も大きなことは「どちらか一方が100%正しいわけではない」という残酷なまでの現実です。

主人公のキラ・ヤマトと、親友のアスラン・ザラ。二人はかつて心を許し合った友人でありながら、立場の違いからお互いに武器を向け合うことになります。

キラには守りたい仲間がいて、アスランには守るべき祖国がある。 どちらも「自分たちは正しいことをしている」と信じて、命をかけて戦っています。

実社会でも同じような事が起きています。何度も。何度も。

ニュースで流れてくるウクライナやロシア、中東の悲しい出来事。

お互いが「自分の正義」を盾にしてぶつかり合うとき、そこには勝ち負けではなく、ただ「深い悲しみ」だけが残るのだということを、このアニメは痛いほど丁寧に描いています。

戦争というものを改めて考えさせられるキッカケにもなるアニメ。

それが『ガンダム』というアニメでもあります。

社会生活においても、仕事でお互いの意見がぶつかり合う時もあります。

どちらも正解。どちらも不正解。そんなこともある。

だからこそ、そういうときは相手の立場にもなって考えたい。そう思えるようになったのもガンダムSEEDのおかげかもしれない。

終わることのない「報復の連鎖」

劇中で何度も繰り返される、「殺されたから、殺して。殺したから、殺されて…」という言葉があります。

大切な人を奪われた怒りは、新たな怒りを生み、その炎はどんどん大きくなって、やがて個人の感情では止められないほどの大きな「争い」へと発展してしまいます。

今の世界情勢を見ていても、この連鎖から抜け出すことの難しさを痛感します。

「やられたらやり返す」という感情に、どうやってブレーキをかければいいのか。

『ガンダムSEED』の物語では、最後には手を取り合うための「対話」や「理解」を模索します。

なんというか、、ハッピーエンドに向けての新たな旅立ちとでもいいますか。僕は、何度見ても感動のラストです。

ただ、現実は中々難しいものではあります。

対人トラブル。

ホント、簡単には解決しません。

自分と考え方が違うというだけで、話も聞かない人。

相手の立場になって考えることもせず、一方的に責め立てる人。

汚い言葉をぶつけてくる感情にブレーキをかけれない人。

対話になりません。

そういう相手とは距離を取りましょう。

僕は、そうします。

時間はもっと有意義に使えます。

ガンダムは、ただかっこいいロボットが戦うだけのバトルアニメではありません。

どのガンダムシリーズでも争いの背景に理由があり、ストーリーとしても魅力あるアニメだと思います。

おわりに:僕が大好きなガンダムSEEDのモビルスーツ

アニメオタクの僕が語る『ガンダムSEED』の感想でした。

最近の世界情勢のニュースを見ていたら、なんだかまたガンダムSEEDが見たくなってしまい、せっかくだからnoteを書きました。

ちなみに、僕が好きなモビルスーツは「フリーダム」です。

主人公のキラが操るガンダムで、ホント最強レベルのガンダムです。

強さもですが、ガンダムとしてのデザインが好み。

やっぱいい。かっこいい。